山田露結ブログ

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阿部青鞋を読む

阿部青鞋を読む

なつかしくなるまで            山田露結

 

半円をかきおそろしくなりぬ 

 

私の手元に一冊の選集がある。「俳句の世界 阿部青鞋選集」という。阿部青鞋。「青鞋」は「せいあい」と読む。「青蛙(あおがえる)」ではない。あまり聞かない名である。そして、妙な名である。「せいあい」の語感はどこか「性愛」を連想させる。

 俳句も妙である。いわゆる花鳥諷詠、客観写生を軸とする伝統派の作り方とはずいぶんかけ離れているようである。冒頭に揚げた句は無季、しかも破調、というよりはむしろ自由律と言ったほうが良いのかもしれない。この句を読むとき、半円そのものを描こうとしておそろしくなったという読みと、もうひとつ、真円を描く途中、半円まで描いたところでおそろしくなったという読みと二通りの解釈が出来るかと思う。後者はつまり「半円までかきおそろしくなりぬ」と言い換えることが出来るだろうか。この解釈を採る場合、私は単に半円という不完全な形がもたらす漠然とした不安感という以上に完全な円を完成させてしまうことへの恐怖、なにか触れてはならない世の摂理に触れてしまうような、踏み入ってはならない神域へ踏み入ってしまうような、得体のしれない恐怖を句の背後に感じるのである。

青鞋作品の特徴として、まずその唐突な飛躍を指摘することが出来るかと思う。

 

かたつむり踏まれしのちは天の如し

流れつくこんぶに何が書いてあるか

 劇場のごとくしづかに牛蒡あり

 

一句目の「天の如し」、二句目の「何が書いてあるか」、三句目の「牛蒡あり」。いずれも一句を読み下してゆく上でずいぶん唐突であり、一読、そのあまりの脈絡のなさに戸惑ってしまう。この脈絡のなさはいわゆる二物衝撃におけるそれとは性質が違うと思う。どちらかといえば天狗俳諧における偶然性、ナンセンスに近いのではないだろうか。しかしながら、このような単なるデタラメな言葉の羅列のようにも思える唐突な飛躍にも不思議と納得させられてしまうのは、人がいかに文明というものを進化させてみたところで、結局は逃れ切ることの出来ない自然の法則、あるいはそれに伴う動物的な宿命といったものを青鞋作品が言い表そうしているような気がするからかも知れない。

雌雄同体であり、手足を持たず、さらには家の如き殻を背負う「かたつむり」という原始的な生物。簡単に踏みつぶされてしまうその小さな存在が踏まれたのちを「天の如し」とする独断はどこか動かしがたい自然のことわりを思わせるようであるし(青鞋にはほかに「かたつむりいびきを立ててねむりけり」「かたつむり生きて居らむとしてころぶ」「かたつむり湖畔に踏まれうれしがる」「大きくて家庭の如きかたつむり」などかたつむりを詠んだ句が多い。)、「流れつくこんぶ」から何かを読み取ろうとする行為は、人が文字、あるいは言語というものを確立しゆく過程で逆に退化させてしまった原初的な感覚を呼び覚まそうと試みているようにも思える。さらに、「牛蒡」のあるたたずまいに対する「劇場のごとく」という一見突拍子もない見立ても(牛蒡に見立てられたのは観客だろうか、それとも舞台上の役者だろうか)、ある種の真理性への換喩として、そこに本来的なモノの在りようを示そうとしているようにも感じられる。

このようにして青鞋作品を眺めてゆくと、私はその不可思議な感触の中に、どこか宇宙の摂理の根源へ近づこうとするような作者の強い意思を感じるのであるが、どうだろうか。

 

虹自身時間はありと思いけり

生涯の実際よりもおもたき手

蝶が飛び大腿骨が飛びにけり

なか指にしばらく水をのませけり

足あげたまゝ永久に汐干狩

あめつちを俄かに思ふくさめして

 

阿部青鞋は大正三年東京渋谷生まれ、昭和八年に高輪学園を卒業後、同十一年、二十二歳のときに新興俳句系誌「句帖」に参加している。その後、渡辺白泉らの俳句同人誌「風」に参加。内田慕情とメカニスム俳句を提唱、「螺旋」「動線」を発行。同十六年には応召され、まもなく大陸で戦病、召集解除されている。戦前から戦後にかけて新興俳句運動に関わりながら、渡辺白泉、三橋敏雄らと古俳諧研究をしており、永田耕衣、加藤郁乎らは青鞋句について古俳諧、ことに談林派からの影響を指摘している。とくに師系というものを持たず、俳句と独自の関わり方をしていたようであるが、そのためか青鞋に関する情報はかなり少なく、「火門集」、「樹皮」、「続・火門集」、「霞ヶ浦春秋」、「火門集私抄」、「ひとるたま」と、かなりの数の句集を刊行しているにもかかわらず、現在どれも入手困難であり、現時点で私が青鞋について知りうるのは、手元にある選集とウェブ上のブログ※「―俳句空間―豈weekly」(二〇一〇年七月に終刊)の「俳句九十九折」で、富田拓也氏が取り上げている記事からのみである。

本選集に収められた妹尾健太郎による三橋敏雄へのインタビューで三橋が「阿部さんとは、冗談とかくだけた話とかできる感じじゃなくてね、資質っていうのか英語、フランス語、中国語もかなりかな、唐詩だとあれを中国語でパッパ読むわけだよ。そうすると音韻が実にいいわけだ。こっちが翻訳物で読んでるのを、すぐねフランス語なんかでやってくれるからこれは勉強になりますよ。」と話しているように、青鞋はかなりのインテリだったことが窺えるが、五才の頃には一旦寺に養子に出され、その後再び母親によってに連れ戻されるなど、やや複雑な幼少期を過ごしたようであるし、終戦直前に東京から岡山へ疎開し、終戦後もそのまま同地に滞在、その地で洗礼を受けて牧師になるなど、かなり特殊な経歴の持ち主でもあったようだ。

 

さて、予め示し合せて伯母がわたしを背負い、一緒にぶらぶら歩きでもするかのように見せかけて大師堂の前まできて、そこからあともふりむかず駆けだして行ったあのわたしの実母が、ほゞ一と月たった梅雨の晴れ間の暑い日、突然姿を現わした。(略)思いがけない実母の目が、まるでわたしを睨みつけるように迫り、わたしはふと逃げ腰になった。母はそんなわたしの前へ素ばやくまわり、わたしをつよく抱きしめていた。上背の母のかたい帯に耳をすりつけられ、いたいと思いながら、頭の上で母が泣いているのがきこえた。

 

幼少の頃をこのように追想する青鞋であるが、こうした体験が青鞋作品の特異性の成立に何かしらの影響を及ぼしたであろうことは想像に難くない。

 

なつかしくなるまでからだ縮めをり

 

「なつかしくなるまで」の一語に胎内回帰願望の切なさを感じずにはいられない一句であるが、私などは思わず、射殺される数時間前に写真家のアニー・リーボヴィッツによって撮影されたジョン・レノン最後の公式写真として知られる一枚(服を着て横たわるオノ・ヨーコに全裸のジョン・レノンが体を縮めてしがみつくようにして寄り添っている)を思い浮かべてしまう。青鞋句に触れるということは、同時に人間の背負う業というもののさびしさに触れることでもあるのだということを私は、このような作品から強く感じる次第である。

 

http://haiku-space-ani.blogspot.jp/2008/11/blog-post_9620.html 

 

 

 

阿部青蛙三十句    山田露結選

 

馬の目にたてがみとどく寒さかな    「火門集」

あたたかに顔を撫ずればどくろあり

半円をかきおそろしくなりぬ

かたつむり踏まれしのちは天の如し

永遠はコンクリートを混ぜる音か

流れつくこんぶに何が書いてあるか

虹自身時間はありと思いけり

いたずらをしたるが如く葱白し

冬蝶のこときれしのちあそびけり    「続・火門集」

ちからなほぬけざる蝉の穴ひとつ

水鳥にどこか似てゐるくすりゆび

劇場のごとくしづかに牛蒡あり

生涯の実際よりもおもたき手

手の腹はまだよく知らぬところかな

蝶が飛び大腿骨が飛びにけり

くすりゆびいよいよ繭をつくりたき

なか指にしばらく水をのませけり

出してみるまで濡れてゐる懐手

足あげたまゝ永久に汐干狩

冬蝶ははしらの多き貨物船

炎天をゆく一のわれまた二のわれ    「ひとるたま」

あめつちを俄かに思ふくさめして

或るときは洗ひざらしの蝶がとぶ

なつかしくなるまでからだ縮めをり

滝凍ててむしろこの世のものとなる

撃たぬとき砲弾ねむごろに重し

一行に葡萄の種をならべけり

びしょぬれ見える花火といふものは

大きくて家庭の如きかたつむり

下向いてをれば満月のにほひがする

 

 

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